村舍燕 杜牧 Cūn shě yàn dùmù

漢 宮 一 百 四 十 五 
Hàn gōng   yī      bǎi      sì     shí    wǔ
多 下 珠 簾 閉 瑣 窗 
Duō  xià    zhū    lián    bì     suǒ chuāng
何 處 營 巢 夏 將 半  
Hé     chù  yíng  cháo   xià   jiāng bàn
茅 檐 煙 里 語 雙  雙  
Máo  yán  yān      li       yǔ  shuāng shuāng

漢宮 一百四十 五
多く珠簾(しゅれん)(おろ)し 窓を閉鎖(とざ)
何処(いずく)にか巣を営む 夏将(まさ)に半ば
(ぼうたん)煙里(えんり)に 隻隻(そうそう)(かたら)

滅び去った王朝の宮殿に
多数の閉ざされた窓があった
(待ち顔で其処に…望みをなくした女たちがいた
珠簾は下ろされたまま…

安んじて窓に巣を架けていた燕たちは
今は何処に巣をかけているのだろう?
夏もう半ばという この時節に

昔と変わらぬ茅屋の
庶民の軒端で
厨の煙の籠もる梁で
ちちちっと啼きかわしながら
主人同様のつましい暮らしを
巣のまわりで唄っているのさ

注釈
漢宮:皇室宮殿 
営巣:巣を築き繁殖の場とすること  
茅檐煙裡:平民百姓家の室外の廂梁、室內的梁檁上など
煙里は煙裏に同じ 煙の中 煙に包まれて 
双双:擬音語、燕の囀声の擬音

燕は古くから詩の題材になってきている
詩経に
燕燕于飛 差池其羽 之子於歸 遠送於野 瞻望弗及 泣涕如雨
燕燕于飛 頡之頏之 之子於歸 遠於將之 瞻望弗及 佇立以泣
燕燕于飛 下上其音 之子於歸 遠送於南 瞻望弗及 實勞我心
云々…
とある。

栄枯を懐旧する題材を燕の巣作りにかけて詩にするセンス
杜牧らしい

いきなり漢宮一百四十五と数字を投げ出して
それで過去の世の壮麗な宮殿と繁栄の面影を呼び出し
下珠簾の閉ざされた窓を対置して艶やかさと孤独閨怨の情を醸し出す
そこまでは技量だろうが
無数の燕がそこに営巣していたという故事を振って
茅屋と炊煙と燕の巣作りという日常へ導く手法は
 秀逸なセンスと言うべきだろう

悠久な自然に属する燕の営み
栄枯盛衰を繰り返す権力と栄誉のための争い
その陰で儚い日々を生きる女たち
まるでそれとは無縁かのような変わらない庶民の暮らし
それらを
四行に収め余韻をのこす小さな詩

語には語る―対話することばという含意がある
啼き交す声を語るととらえているのに気づく
茅屋の廂や梁、炊煙のイメージに里語(俚言)という
イメージが重なる
しかしこれは私の勝手な連想

漢宮|一百|四十|五 
多下|珠簾|閉瑣|窗 
何處|營巢|夏|將半
 茅檐|煙里|語|雙雙

上のように切れ目は里と語の間にあるから
里語という語感を 俚語に結び付けられない
それでもと思う
燕の夫婦の囁き声は宿の主人たちの語(はなしごえ)に
重なる気がすると

双は自然の事物のペアになっているもの
ペアの数えかたの単位という面がある
一対の屏風は一双の屏風とも言う
本来的に二つで一組だからだ
最後の一句の「語双双」が
「双」「双」と語す…
「お前」「あなた」と語(よびかわす)
と読みたくなった
双双は硬い物の触れ合って発する音の擬音なのだが
囀りを双双と聞く耳に
番う二羽の燕はどう見えていたのか…

我が家にも今燕が旧い巣を改修して子育てを目論んでいる
茅屋であり蘆舎である我が家の暮らしぶりに
並び暮らす短い日々
燕とシェアする日々を愛しく思うこの頃なのだ