北園雜詠  陸游

西 村 林 外 起 炊 煙 
 Xi   cūn    lín    wài     qǐ    chuī   yān,
南 浦 橋 邉 系 釣 船 
Nán  pǔ   qiáo  biān  xì    diào  chuán.
樂 歲 家 家 俱 自 得 
Lè    suì    jiā      jiā      jù     zì      dé,
桃 源 未 必 是 神 仙 
Táo  yuán wèi   bì    shì   shén   xiān.

(古詩
西村林外に炊煙起(た)ち
南浦の橋邊 釣船を係ぐ 
楽歳の家々 俱(とも)に自ずから得(う)ることあり
桃源は 未だ必ずしも是れ 神仙にあらず

起は立ち昇る様をいうのだろう。

林外、橋邊はそれぞれ林のあたりとか橋のところでということ。
外や邊をそのように解するのがいいのだと思う。

二句は対になっている。
西と南、村と浦、林と橋、外と邊、起と系(係)、炊煙と釣船(火と水)。

楽歳は豊作の意味か減税の意味か?たぶん豊作の年であろう。
「自ずから得(う)」というところでそう言えると思う。
桃源は桃源郷のこと。

北園は陸游の農園(書斎もあるらしい)。

全体の意味は一読で明らかだろう。

林に紛れるような村が見える。
西村とあるのだから小園から見て西に所在するのだ。
 家々から立ち上る炊煙が夕暮れを感じさせる。

南側の村はずれの浦に小さな船橋があって
釣り船がもやわれている。
繋いだままで夕暮れて行く穏やかな一日の終り。

今年は豊作の年に当たったので
どの家でもそれぞれ実りを得て自足の日々なのだ。

陸游はその情景を楽歳と呼んで喜びを共にしている。
愛国詩人のこころの在り処はこういう民衆の穏やかな暮らしにあった。

桃源郷を余所に求めるる必要はない。
この情景は桃花源とどこが違うというのか。



陸游の人柄がわかる好感の持てる詩だ。