唐詩三百首 001 感遇四首之一  張九齡

孤    鴻    海    上    來   孤鴻 海上より来る
Gū  hóng hǎi shàng  lái
池    潢    不    敢    顧  
 池潢 敢えて顧みず
Chí  huáng bù  gǎn  gù
側    見    雙    翠    鳥  
 側に見る 双翠鳥の
Cè  jiàn shuāng cuì  niǎo
    在    三    珠    樹  
 巣くうて三珠樹に在るを
Cháo zài sān   zhū   shù
矯    矯    珍    木       矯矯たる珍木の巓(いただき)  
 
Jiǎo jiǎo zhēn  mù   diān
得    無    金    丸    懼  
 金丸の懼れ無きを得ん
Dé   wú     jīn   wán   jù
美    服    患    人    指   美服は 人の指ささんことを患え

Měi  fú   huàn  rén  zhǐ
高    明    逼    神    惡  
 高明は 神の悪(にく)むに逼(せま)
Gāo míng bī    shén   è
今    我    遊    冥    冥  
 今 我れ冥冥に遊ぶに
Jīn   wǒ   yóu míng míng
弋    者    何    所    慕  
 弋(よく)者 何ぞ慕うところとならん
Yì    zhě   hé    suǒ    mù


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孤鴻     鴻は雁の大きなものを言う。鴈は小さいもの。独行の大きな雁。
池潢     池も潢も水溜り。海に対比する。翠鳥(かわせみ)も鴻も水に棲む。
双翠鳥    二羽のかわせみ。
三珠樹    伝説の仙境にある樹。
金丸     鳥獣を撃つ弾丸。仕掛けの弾丸。伝説の金の弾丸に喩えている。  
弋者     鳥網など仕掛けで鳥を取ろうとする者。

孤鴻ははるか海をこえて飛んでいく
翼を息める池があっても目もくれずに

ちらりと目に留まる二羽の翠鳥(かわせみ)
きらびやかな樹上に巣くうているが

その高々とした木の上も
かえって弾丸で狙われやすい

美しい衣装の其の姿は ねたまれ
身を置く高さは 鬼神にねらわれる

我れは今 果てしない空を往く
ここならば捕獲者も手はとどかない

詩は志だという。それが中国の詩の伝統だという。
この詩も政治的言語に半ば属するのだとされる。

双翠鳥は二人の政敵の高官であるという。

そうだとしよう。でも直接にはこの詩は
鴻から翠鳥をみて詠うものという形式になっている。

孤(独)と引き換えに海上を渡る翼の力をもち、
富貴を「敢えて顧み
「懼(おそ)れ、患(うれ)い」から自由である。

明らかに自己を鴻に投影している。

最後の詩句は 身の安全と自由を
強く願望する形で収めている。

迫害と不遇が詩を生む、という中国の詩人の運命もここに露出している。
そう受け取ってよいのだろうか。

ふと、ボードレールの「信天翁」という詩を思い出した。
「悪の華」所収の詩だったと思うがそこでも詩人は
船乗りに弄ばれる阿呆鳥の姿と大空を往く姿を対比しながら
詩人の運命をも描いていたように記憶する。

大空を翔り往く鳥は隠喩以上に詩人と内的に繋がりのあるもののようだ。

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