洛陽訪袁拾遺不遇 孟浩然
洛陽訪才子 洛陽に才子を訪えば
江嶺作流人 江嶺に流人と作れり
聞説梅花早 聞く説(な)らく 梅花 早しと
何如此地春 何ぞこの地の春に如かん
この時代は二都制で洛陽は副都だったそうだ。
洛陽にいる友人を訪ねると不在だという。
相手を「才子」だとする。飲酒歓談を期して訪ねたのだろうか。
ところが江嶺というところへ流人(るにん)となったというのだ。
流人といっても僻地勤務で罰の意味も無論あるが囚人ではないのだ。
「飛ばされた」という現代語の語感に通じる。
聞くところによるとそちらは梅花の開くのが早いとか、
いやいや春が早いといったって
都の春には及ぶものではないだろうに…
自らも不遇な生涯だったという孟浩然、友人の左遷を同情しきりといった詩だ。
春愁という言葉もあるが、それは悩ましい愁いばかりではない。
ちょうど今のように
国を憂え、楽観的になれない愁いもある。
親しい者と過す春こそすばらしいのだ。
友の居ない春。自分の居ない友人の春。
季節は春でもそれは寂しく愁いに満ちた春なのだ。
0002 千家詩