千家詩 0003



送郭司倉   王昌齡


映門淮水綠   門に映ず  淮水の緑

留騎主人心   
騎を留むる 主人の心

明月隨良掾   明月 良掾に随わんとし

春潮夜夜深   
春潮 夜夜に深し

郭司倉を送る    王昌齢

秦淮流れ 水面の緑が門辺に映えている
旅びとの乗る駒を留める主人(わたし)の心は…
やがて月も昇り良掾(良い属官を得て任地へ赴く貴方)に随って行くかのよう
春の夜の水辺に満月近い月の昇るたび潮は深々と寄せてくる

この詩のリズムは
映門|淮水|緑  2:2:1    
留騎|主人|心  2:2:1    
明月|随|良掾  2:1:2    
春潮|夜夜|深  2:2:1    

韻は(平声侵韻)の「心、深」
碧海青天夜夜心(「嫦蛾」 李商隠)という似た詩句もある。

前半は午後乃至夕べ、後半は春宵(春の夜)だ。
そのことが「主人の心」を余さず告げている。

淮水(秦淮河)は長江に注ぐ川で「淮水」の水は川の意味である。
私は、 映ず…緑 という句から「千里鶯啼緑映紅」を連想する。
杜牧は王昌齡より後の人だから無関係だが。
だが江南の春の旅人を取り巻く情景として響きあうものがある。
舟でなく騎馬であることが注意されてよいが、平仄の都合でのことか。
(まだ平仄をあたっていない)


映:留は句の頭に置かれた動詞。
随は真ん中に置かれた動詞。
深は春潮を受けているが「夜夜に」と修飾されていることから
本当は「深くなる」「深くなっている」という動詞だろう。
しかし「春深し」の感覚をともなって春潮夜夜に深しと読むことが許されてよいと思う。

別れ難くて留めただけではない。
月の出を待って満潮時に舟で発つのがよいのだから。


そして明月である、夜道を辿れるのである、
馬は船寄せ場までの乗り物なのに違いない。



別れを惜しむ二人のこころは
春の潮のように深くなり続けて
止みがたい高まりとなっているのである。


春がたっぷりと迫ってくる様子が感じられる。