禹廟 杜甫
禹廟空山裡秋風落日斜荒庭垂橘柚古屋
畫龍蛇雲氣生虛壁江聲走白沙早知乘四
載疏鑿控三巴

禹廟空山裡  禹廟空山の裡
秋風落日斜  秋風落日斜めなり
荒庭垂橘柚  荒庭橘柚垂れ
古屋畫龍蛇  古屋龍蛇畫く
雲氣生虛壁  雲気虚壁に生じ
江聲走白沙  江声白沙に走る
早知乘四載  早に知る四載に乗じ
疏鑿控三巴  疏鑿して三巴を控くを

天地を改造した禹の神話上の事績を讃えて作られた禹廟は各地にあったらしい。
杜甫の旅中の詩群のどこに位置するか、つまり旅行時期と場所については問わない。
長江の流れるあたり、三巴どこかの廟だ。


五言律詩だと思う。これも子細な検討は省く。
律詩だから対句が有るのは勿論だが、それも関心の外にある。


  ひと気ない山の裡にある禹廟 は
  夕暮れて秋の日が斜めに照らしているだけだ。

  手入れされない庭に橘や柚子が実って枝を垂れ、
  古ぼけた屋内に恐ろしげな龍蛇が画かれている。

  切り立った岸壁の岩蔭に雲気がたち、
  見下ろすと白砂の岸辺を江は音高く流れていく。

  知ってはいたのだが、これ程とは…
  禹が四種の乗りもの使って縦横に地を疏鑿して、
  水を三巴に控いたことは知ってはいたが。



橘柚と龍蛇が禹の神話性を象徴しているのだろう。
禹歩というのは舞踏におけるステップのひとつだが、それは禹が蛇体・龍形であることからきている。
禹廟に龍蛇が画かれていたのはこれによる。橘柚は南方の果実だが、また神仙境の仙果ともされる。

日本書紀には田道間守が非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)探し出してもたらした伝説があるが、書紀では今の橘がこれだと注している。編纂当時に橘が仙果という知識が有った証左だろう。

雲気生ずは白雲が仙境を隠すということにつながるし、虚壁は絶壁を指すと思われるので絶壁が雲を吐いている風情か。

雲気生じ江声走るという描写のダイナミックをもって先行句をまとめている。

終聯は再び神話的伝説へと自然体を送り返して終わる。

禹域に生きる人間としての感激があると思う。