唐詩三百首 005 下終南山過斛期山人宿置酒 李白

  終南山を下りて斛期山人の宿に過るに酒を置かる 李白

暮從碧山下      暮れて碧山より下れば、
山月隨人歸      山月人に隨いて帰る。
卻顧所來徑      来し所の径を(かえりみ)れば、
蒼蒼横翠微      蒼蒼として翠微に橫わる。
相攜及田家      相ひ攜(たずさ)えて田家に及べば、
童稚開荊屝      童稚 荊扉(けいひ)を開く。
綠竹入幽徑      緑竹幽径に入り、
青蘿拂行衣      青蘿(せいら)行衣を払う。
歡言得所憩      歓言憩う所を得て、
美酒聊共揮      美酒聊か共に揮(ふる)う。
長歌吟松風      長歌松風に吟じ、
曲盡河星稀      曲尽きて河星稀なり。
我醉君複楽      我酔いて君復た樂む、
陶然共忘機      陶然として共に機を忘る。

日暮れの碧山から下ろうとすると、山月がついてくる。
きた道を返り見ると、青々とした山が遠くまで霞んでいた。
道連れとなって君の田家につけば、童僕が門を開けてくれる。
緑美しい竹がほの暗い小徑を囲むように生い茂り、
青い蔦が衣にまつわり埃を払ってくれるかのよう。
談笑のため身を置くところを得て、
心置きなく十分に美味い酒を酌み交わす。
松風に吹かれれば歌を長く嘯き、
歌の数も尽きて見上げれば銀河も落ちゆくころ。
私はまさに酔っている、君もまた楽しみのなか。
陶然として二人共この世の憂さは忘れ果てた。


これを音声で聴いてみよう。






現代の中国語音声で聴くとどんな感じかを味わってみるなら。
上のほうが普通話でする朗読



下のほうがベトナム語みたいだが中国南部の漢語のようだ。
日本漢字音に似た発音も聞こえる。





暮從|碧山|下 ■○■■■
山月|隨人| ○■○○○

卻顧|所來|徑 ■■■○■
蒼蒼|横|翠 ○○○■○

相攜|及|田家 ○○■○○

童稚|開|荊 ○■○○○

綠竹|入|幽徑 ■■■○■
青蘿|拂|行 ○○■○○

歡言|得|所憩 ○○■■■

美酒|聊|共 ■■○■○

長歌|吟|松風 ○○○○○

曲盡|河星| ■■○○○

我醉|君複|楽 ■■○■■

陶然|共忘| ○○■■○


形式は五言古詩
平仄は上に掲げたようになっていると思う。
帰微扉衣揮稀機で押韻している。


この詩の題名に入っている終南山は
都である長安の南にある果て(終て)の山である。
いろいろな意味で重要な意味を文学的にも思想史的にも
孕んだものであるという。
そのひとつの側面が都から遠くないのに地の果てとしての象徴性。
李白が仙人のように山に遊ぶのもこの山が
仙境の色彩を帯びた山だからであることを
背景としてみておく必要があるのだろう。

翠微という表現はよく出会う表現だ。
目にいっぱい草木の翠(みどり)が見えて
もやがかかった青さになっていることのようだ。

旧友と出会ってその草庵を訪れるのだが
相手は隠者(山人はそういう意味だろう)なので
家族の子供が戸を開けるという場面ではないだろう。
隠者には童子(しもべ)であろう。
童稚とあるので実際に
幼い童であるかもしれないが
下働きをする少年くらいにとるのが適当だと思える。

河星は天漢、銀河のことだ。銀河の星の数が稀になると
夜空が薄明に近づいたことをいうのだ。

「忘機」で「憂さを忘れる」といえる漢語の簡潔さ。